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2009年6月18日 (木)

El Derecho de vivir en Paz チリの9.11


歌そのものの良さもありますが、やはりヴィクトル・ハラ(ビクトル・ハラ)の人生や、歌のテーマに込められたものが大きすぎるのでしょうか。胸があつくなります。

チリの伝統音楽の歌い手だった彼は、1971年、ベトナム戦争に対するこの歌を書き上げました。
チリで史上初となる自由選挙によって生まれた社会党政権を支持し、それがために、軍部クーデターにより殺されました。

社会党政権のリーダーの名はアジェンデ。1973年、9月11日に大統領として最後の演説をしたのち、大統領府に乗り込んだ軍部によって殺害されたということです。
チリで言う9.11とは、このクーデターのことを意味するそうです。

ヴィクトル・ハラはスタジアムに連行され、仲間をはげますために歌をうたったそうです。
そのために両手を撃たれ、殺害されました。

当時、社会党・共産党系勢力を絶対に許さなかったアメリカCIAが絡んだ事件でした。
後にクーデター政権は悪評高い新自由主義を取り入れ、借金まみれになり、貧富の差は拡大し、アジェンデやヴィクトルの理想とする世界のまったく逆を進んでいきました。
今もアジェンデとクーデターのリーダー、ピノチェトの評価は、チリ国内を2分しているそうです。

歌はスペイン語そのままで歌うほうが素敵です。
以下、アワライ訳です。なるべく直訳しました。最初は「平和に生きる権利」ではなく、単に「生きる権利」と歌っています。

El derecho de vivir エルデレーチョ・デヴィヴィエ
(The right to live 生きる権利)


poeta Ho Chi Minh,
 ポエタ ホーチミン
(poet Ho Chi Minh,  詩人ホーチミンは)

que golpea de Vietnam ケゴルペア・デ・ヴェトナム
(that it strikes of Vietnam 訴える ヴェトナムの)


a toda la humanidad. アトーダラ・ウマニダド
to all the humanity すべての人権を)


Ningún canón borrará ニングン・カノン・ボララ
(No canon will erase 兵器では消せないと)


el surco de tu arrozal. デ・スルコ・デ・トゥワルザル
(the furrow of your rice field. 水田の耕地までは)


El derecho de vivir en paz. エルデレーチョ・デヴィヴィエ・エンパズ
(the right to live peacefully 平和に生きる権利)

Indochina es el lugar インドチナ・エスエルルガール
(Indochina is the place インドシナは)
más allá del ancho mar, マサルジャデル・アンチョマール
(beyond the wide sea 広い海の彼方にある)

donde revientan la flor ドンデレービエンタンラソール
(where they burst the flower そこは花が焼かれ)
con genocidio y napalm; コンジェノシードョイナパーム
(with genocide and napalm ナパームで虐殺されるところ)


la luna es una explosion ラルーナエスウナ・エクスプロシヨン
(the moon is an explosion 月(女)がすべての悲鳴で)


que funde todo el clamor.
ケフンデ・トドエルクラモール
(that it founds all the outcry 爆発するようにおおわれるところ)
El derecho de vivir en paz.


Tío Ho, nuestra canción ティオ・ホー、ヌエストラ・カンシオン 
(Ho uncle, our song ホー叔父、われらの歌は)


es fuego de puro amor,
 エスフエゴデ・プロアモール
(
 is fire of pure love 純粋な愛の炎)

es palomo Palomar エスパローモ・パロモアル
(he is a male pigeon of a place of the pigeons 鳩舎の鳩)

olivo de olivar オリーヴォ・デ・オリヴァール
(olive tree of trimming off lower branches 手入れされたオリーブの木)

es el canto universal エスエルカント・ウニバサル
(it is the universal song それはごく普通の、普遍の歌)

cadena que hará triunfar, カデナキャラ・トリンファラ
(chain that will make prevail 勝利を生む環)


el derecho de vivir en paz.

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2009年6月17日 (水)

ロッホ・ローモンドの伝説


アワライで何度か紹介したロッホ・ローモンド。この歌の舞台となっているスコットランドのローモンド湖の映像です。この歌の伝説を特集したもので、途中で若いスコットランド娘が車の中でロッホ・ローモンドを口ずさみます。

戦いに敗れたスコットランドの兵士の悲しみを歌ったこの歌は、スコットランドの愛国心を呼び覚ますものとして、今も多くのスコットランド人に愛されています。

ビデオの後半に表れる字幕の英訳は以下の通り。

「伝説の始まり、ジャコバイトの反乱は1745年に起こった。
王冠の奪還に向けて、ハイランダーはボニー・プリンス・チャーリーを迎えた。」
当時のカトリックとプロテスタントの争いは凄まじく、イングランドの王座もカトリックからプロテスタントに変わったばかりでした。スコットランドのカトリック勢力ジャコバイトは、カトリック王の後継者であるボニー・チャーリーを立て、反乱します。
ハイランダーとは、スコットランドにひろがる高地ハイランドから来ています。

当時のイギリスはプロテスタントのイギリス国教会が支配する国。でも、王位を追放されたスチュアート家のジェームス2世はカトリックでした。新しく王位についたのはプロテスタントのメアリーですが、世襲制でいうとボニー・チャーリーが正しく、当時の人々はいろいろと板挟みになっていたようです。

スコットランドにジャコバイトの勢力が多かった理由の一つは、スチュアート家がスコットランドの名家だったため。そして、イングランドへの敵対心。1707年には今のEUのように経済的に手を結んだイングランドとスコットランドですが、まだまだ違う国でした。

この歌は戦いに負けたハイランダーの戦死の詩ですが、この戦いの前にはもちろん、普通の平穏なローモンドでの暮らしや恋、思い出がありました。
1945年に始まった戦いは一進一退。しかし、最後は悲惨な結末でした。

1746年、ジャコバイト勢力最後の戦いは、致命的な敗北でした。イングランド側はジャコバイトの負傷兵をも虐殺、首を刈るという方法で皆殺しにしたのです。
その後もスコットランドのジャコバイトは捜索の上捕らえられ、3000人以上が処刑や植民地奴隷になりました。

この戦いは、スコットランドの氏族にとっても最後となりました。
この後、制度は解体され、イングランドの政府軍がスコットランド各地に常駐することになるのです。

「君は高い道を行き、僕は低い道を行く 君より先に、スコットランドの土となろう」
死の戦いへ向かうために、恋人と別れる歌です。

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2009年6月16日 (火)

ユダヤ人であるポール・サイモンが作った〈Bridge over troubled water〉


70年代の混沌の時代にポール・サイモンが書き上げた〈Bridge over troubled water〉。
当時のリハーサルの貴重映像です。
この歌が後に、9.11のニューヨークでのテロのあと、ラジオで放送禁止になります。
それでも、セントラルパークでの追悼コンサートでは、この歌が多くの人の心に響きました。

彼とアート・ガーファンクルは、ユダヤ移民の子孫。
イスラエル問題が911テロの根底にあるだけに、意味深い歌となりました。

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2009年6月15日 (月)

ファシストに立ち向かったパルチザンたちの歌


ロシアの〈カチューシャ〉を基にイタリアでパルチザンの曲となった〈フィッシャ・イル・ベント〉。
イタリアでは今でも老若男女問わず歌われる歌です。
歌詞は、「残酷な死におそわれても パルチザンは復讐する」
といった激烈なもので、対ファシストの内容です。

共産思想の影響を受けた人々が対ファシストのパルチザンの主要勢力だったため、メロディはロシアなんでしょう。このファシストに対する抵抗が、一部のイタリア人の誇りとなりました。敗戦国特有の贖罪の意識もイタリアは少ないと言えます。
敗戦国でありながら、イタリア人はこの歌を力を込めて歌います。
当時を支配していたファシスト勢力に、勇敢に立ち向かったのだと。


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2009年5月21日 (木)

近親相姦の哀しみ〈the well below the valley〉


近親相姦の哀しみを歌詞に託したアイリッシュトラッド〈the well below the valley〉です。
性に対して非常に厳格だったアイルランドの時代の歌で、近親相姦で生まれた子供が何人も家の中に埋められているという残酷な歌です。
主人公の女性は地主の娘。
彼女は本当の恋を知らぬまま、6人の子供を産み、子供たちはパブの下に埋められるというストーリー。


訳詞(訳アワライ)
A gentleman was passing by
He asked for a drink as he got dry
ひとりの男が村を通り過ぎる
喉が渇いて彼は、水が欲しいと私に言った。

At the well below the valley-o
Green grows the lily-o
Right among the bushes-o

谷間の井戸で
野に咲くユリの花
深い茂みの中で

"Me cup is full unto the brim(My cup is full up to the brim)
If I were to stoop I might fall in"
「私のコップにいっぱい入れすぎて、
あなたに渡せる水がない」

"If your true love was passing by(if your true lover)
You'd fill him a drink as he got dry"
「もし私が本当の恋人だったら、水をあげるでしょう?」

She swore by grass, she swore by corn
That her true love had never been born
彼女はアイルランド中の麦穂に誓った
本当の愛なんて、決して生まれないと

He said "Young maid, you swear in wrong
For six children you had born"
"If you be a man of noble fame
You'll tell to me the father of them"

彼は言った。
「あなたが産んだ6人の子供のことなら知っている」

「あなたが本当に紳士なら、彼らの父親の名前を教えてください」

"There's two of them by your uncle Dan"
「二人はダンおじさん」
"Another two by your brother John"
「二人は兄のジョン」
"Another two by your father dear"
「二人は父親」
"If you be a man of noble esteem
You'll tell to me what did happen to them"
「教えてください。子供たちに何が起こったのですか」

"There's two buried 'neath the stable door"
「二人は玄関のドアの下に」
"Another two near the kitchen door"
「他の二人はキッチンのドアの下」
"Another two buried beneath the wall"
「二人は壁の中に埋められた」

"If you be a man of noble fame
You'll tell to me what will happen to mysel' "
「私はいったいどうなるのか」

"You'll be seven years a-ringing the bell"
「7年間」

"I'll be seven years a-ringing the bell
But the Lord above may save me soul from porting in hell.
「鐘は鳴り続けるが、いつか神が地獄から救ってくれるだろう」


ビデオは Terence o'flahertyというミュージシャン。
北西ギリシャに伝わるEpirusという歌い方で唄っています。

「真実の愛を知れ」という戒めの意味で、アイルランドの結婚式で唄われるそうです。(とあるアメリカ青年の話より)ヨーロッパの人でもどうしてこの歌が結婚式で歌われるのか、疑問に思う人は多いとのこと。


クリスティー・ムーアのザ・ウェル・ビロウ・ザ・バレー

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2009年5月13日 (水)

シャロームの歌の原型、イスラエルのShalom, Chaverim


日本人にも馴染み深いシャロームの歌(シャロムの歌)。
イスラエルの民謡で、〈Shalom, Chaverim〉が原題。
最近はううあのバージョンが有名ですが、映像はイスラエルのもの(削除になったので違う映像です)。
古い歌なので詩は短くシンプル。
英語サイトによると、この歌はユダヤ人が聖書の時代に公用語としていたヘブライ語(今のイスラエルでも公用語)の詠唱で、「平穏を得よう」といった意味。祭儀の終わりに手を取り合って詠唱するらしいです。
今では日本語の「ありがとう」「おはよう」と一緒で、「シャロム!(平和!)」が挨拶になっているとか。そして、さようならもシャロムだそうです。

この歌に関していえば、シャロムの意味はさようなら。
「さようなら友よ、また会う日まで」
です。友人との別れを歌っているのか、亡くなった友人に向けて歌っているのかはわかりません。
lehitraotは「hope to see you again soon」だと言っている人もいるので、現世の別れかもしれませんが、葬儀でも歌われていたかもしれないですね。

要するに、「さようなら」と「平穏を」を一つの言葉で唱えることで、友人の平穏を祈る歌です。

Shalom, Chaverim!(シャローム ハベリム)
Shalom, Chaverim!(シャローム ハベリム)
Shalom, Shalom! (シャローム シャローム)
lehitraot, lehitraot,(レヒットラオト レヒットラオト)
Shalom, Shalom! (シャローム シャローム)

英語訳
Shalom my friends(Peace my dear friends),
Shalom my friends,
May you go in peace;
Till we meet again,
Till we meet again,
Shalom, shalom.

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2009年5月11日 (月)

警官を前に歌いだした赤とんぼに、暴力が止んだ


由紀さおりさんがコンサートで歌声喫茶の芝居を再現し、女主人として語った「赤とんぼ」のエピソードは、砂川闘争のときのものでした。
砂川闘争なんて言葉はもう若い世代では知る人もいなくて、30代の私も正直、名前しか聞いたことがありません。
調べてみると、立川の米軍基地拡張に反対する闘争ということ。
昭和31年の雨の日。学生と警官の肉弾戦となり、もう学生が精魂尽きる寸前。
おそらく、学生は自らを鼓舞する歌をいくつか持っているけれど、それを警官が聞けば逆に勢いづくというとき、学生側の誰かが「赤とんぼ」を誰かが歌い出したそうです。
由紀さおりさんが芝居の中で言うには、その歌を歌いだした女学生が、歌声喫茶のお客さんだったと。

朝日新聞の記事によると、日没までの30分間、学生らは歌い続け、警官は突入できなかったといいます。

映像は三波春夫とコーネリアスの赤とんぼ。


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2009年5月 1日 (金)

悲惨を極めた引き揚げ その船の中で聞いた「りんごの唄」と希望


満州からの引き揚げ船の中で歌った朧月夜のエピソードを何度か紹介しましたが、実際に引き揚げ経験を持つ方の手記がこちらに掲載されています。
ソ連兵の侵攻は太平洋の島々での戦い、沖縄の戦い、フィリピンなど占領地での戦いの悲惨さ同様、相当のことがあったはずですが、あまりに悲惨だったために本当のことを語らない方も多いと言われています。
紹介した手記は平壌からなんとか南側にたどり着き、引き揚げ船で「リンゴの唄」を聞いて感動したエピソードがあります。唱歌や軍歌ばかりだったので感動したそうです。まさに「希望そのもの」。ひとつの唄がどのように聞かれ、愛されたか、私たちはなかなか知る機会がありません。

ちなみに、作詞はサトウハチロー。この唄は戦時下に軟弱すぎるとして検閲を通らなかったそうです。

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2009年4月27日 (月)

もずが枯木で サトウハチロー原詩のタイトルは「百舌よ泣くな」だった


厭戦歌謡〈もずが枯木で〉。ソウルフラワーユニオンモノノケサミットのカバーによって知った歌ですが、この悲しさがたまりません。昭和10年にサトウハチローが作詞したものですが、なぜこの戦時にこの詞が検閲を通ったのが疑問に思った二木鉱三という人が、当時発表されたものは今の詞と違うのではないかと、発表時のものを調べました。
それはまず、タイトルが「百舌よ泣くな」でした。
歌詞は以下の通り。

百舌が枯木に 泣いてゐる
おいらはわらを たたいてる

わたひき車は おばアさん
こっとん水車も 廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けれども足り無え ものがある

兄(あん)さの薪割る 音が無え
バッサリ薪割る 音が無え

兄さは満洲へ 行っただよ
鉄砲が涙に 光っただ

百舌よ寒くも 泣くで無え
兄さはもっと 寒いだぞ

反戦詩であることには変わりなく、児童向けだったことからではないかということです。
それにしても、戦前の岩手の、普段の日々がストレートに伝わってくるのはなぜでしょう。
奇をてらうわけでもなく、ただ静かに兄のことを想っている、その普通の想いだからこそ、心に響くものがあります。

ちなみに、今の歌詞は茨城で民謡として戦後歌われていたもの。
サトウハチローの詩に感動した茨城県の教諭、徳富繁が曲をつけ、県内にひろまったためです。

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2009年4月22日 (水)

Hush-A-Bye(All the pretty little horses)はプロテストソングだった


以前にも紹介した〈Hush-A-Bye〉という子守唄。雨の日にこの歌を聞いていると本当に切なくなります。最近雨なので頭の中にこの歌が巡り、ひさびさにYoutubeで映像を探してみました。

検索するとHush〜だとあまりないので、原曲名の〈All the pretty little horses〉で調べたのですが、やはりまだ映像数がそれほどない。それで、いろいろバージョンがあるうち、普通に歌っている映像が上のものでした。
ただ、この人の書いた説明書きが、気になるのです。
よく読んでみると、この歌は実はプロテストソング(抗議の歌)なんですよと書いてあったのです。
彼が言うには、奴隷の女性が、主人の子供の世話を強制させられ、自分の子供が放置されてしまっていることを歌ったということらしいのです。

歌詞を良く読んでみると、確かにそんな感じです。
Hush-a-byeというのは「おねむり」。
母親は我が子に向かって「泣かないで」と歌っていますが、これは目の前にいる子供ではなくて、家で一人でいる我が子に向かって歌っているということですね。
「もしあなたが起きたら、いろんな子馬がいるから」
Dapples and Greysというのは灰色のまだらの品種。Pintos and baysは牛のような模様で、その模様が茶色の品種です。
訳が正しいか分かりませんが、おそらく子供が子馬が好きで、子馬を見れると思ったらすやすやと眠りについたのでしょう。

そして母親は、草原の向こうにいる可哀想な我が子が泣いていると歌います。
そして、「鳥と蝶々が子供の目のまわりを飛んでいる birds and butterflies
flutter 'round his eyes」という若干意味不明な歌詞が登場します。
実は、この歌詞は後に子守唄として優しくするために変えられたもので、元々は「birds and butterflies, peck at his eyes」で、「彼の目をつついている」だったと言うのです。(英版ウィキペディアより)

上の映像の彼が言うには、それが蜂だったとも書いています。

1939年にアメリカ南部で採集した音源には、黒人女性の歌ったAll the pretty little horsesが残っています。
All the pretty little horses (The John and Ruby Lomax 1939 Southen States Recordingn Trip)

以下、日本語訳は勝手にアワライで訳したものです。

Hush-a-bye, Don't you cry, Go to sleep my little baby
おやすみ泣かないで、おやすみよ
When you wake, you shall have, all the pretty little horses.
目が覚めたら、かわいい子馬は全部あなたのもの
Dapples and Greys, Pintos and Bays, Coach and six little horses.
ダプルズアングレイも、ピントスエンベイズも、6頭の子馬の馬車だって
Hush-a-bye, Don't you cry, Go to sleep my little baby
When you wake, you shall have, all the pretty little horses.

Way down yonder in the meadow
草原のずっと向こうを下っていくと
poor little baby cries mama
可哀想な我が子がママと泣いている
birds and butterflies flutter 'round his eyes(the bees and the flies are pickin' out its eyes )
鳥と蝶々が彼の目のまわりを飛んでいるのに(目をつつかれて)
poor little baby cries mama

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