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2010年6月10日 (木)

英「インディペンデント」はロシアに買われるほど疲弊していた


英国が誇る日刊紙「インディペンデント」ですが、もう経営面では破綻していたようです。
買収されたのは3月のこと。その相手が国内の企業ではなく、ロシアの新興財閥。
しかも、彼らの思惑として予想されるのが、「紙面を通じてロシアのイメージを変える」「欧州で大きな影響力を持つパイプに近づく」というもの。
イギリスのナショナリズムもなめられたものです……。他国企業がオーナーの新聞なんて読みたいでしょうか。
(仏リベラシオンより)

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2010年6月 8日 (火)

1974年、エチオジャズが死んだ 3


今、軍事政権からアメリカやヨーロッパに逃れた奏者たちが首都アディスアベベに集まっています。
そのきっかけとなったのは世界不況。
エチオピアは経済も発展途中にあり、なかなか元気。

1974年の悪夢を払拭し、アフリカ的ジャズの蘇生は始まったばかりです。

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2010年6月 7日 (月)

1974年、エチオジャズが死んだ 2


エチオジャズの第一人者ムラトゥ・アスタッケ。アメリカやイギリス、エチオピア3カ国を拠点として活動している彼は、デューク・エリントンの名曲をエチオジャズの5音音階に編曲して注目を集めた人。
それは軍部政権がおこる少し前のことでした。
デューク・エリントンとの交流の中で、1オクターブに12音あるジャズを5音階に。つまり、都市の音楽をエチオピアの伝統的音階に変え、熱狂的なファンを生んだのです。

しかし、のちに生まれた軍部政権は、音楽を検閲し、革命曲を作ることを強制。エチオジャズを反革命として、奏者やファンの殺害を行いました。
(続く)


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2010年6月 4日 (金)

1974年、エチオジャズが死んだ


「エチオジャズが復活する」との言葉をネットや雑誌で耳にするようになりました。
映像はムラトゥ・アスタッケ(Mulatu Astatke)の1974年の映像。
74年といえば、軍部がマルクス主義政権を樹立し、多くのジャズ演奏家やファンが殺害され、エチオジャズが死んだ年です。(続く)

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2010年6月 3日 (木)

前首相は午後2時からプレステ? ギリシャの楽しい日常


財政危機から頑張って作り上げたEUが崩壊危機にありますが、実はギリシャは脱税がものすごいらしいです。
さらに、公務員がものすごく多い。多すぎて仕事がないので、コーヒーのんで、ネットみて、午後2時に帰るそうです。楽しい…。

しかも、昨年の10月に首相だったコスタス・カラマンリスは、午後2時に港のレストランで新鮮な魚料理と白ワインを楽しみ、すぐにリムジンで自宅に帰ってプレステをしたいたそうです。
楽しそう…。

みんなでギリシャに行って、のんびり暮らそう!
マンマミーアの女主人はちゃんと納税してます。たぶん。

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2010年6月 2日 (水)

プーチンの武器輸出企業のお金でF1参入


途中からものすごいハイトーンボイスになるロシアのアーティストの映像です。
ロシアといえば、ロシア人初のF1レーサーが誕生しました。
彼の名はヴィタリー・ペトロフ。参入のために持参金18億をルノーに払ったそうです。他に、スポンサーマネーとして59億。
その出所があやしい。

噂されているのは、プーチンが設立に関わった武器輸出を独占する企業A。
財政難で撤退の危機だったルノーに、この大金が流れこんだようです。

国を挙げて支援するということらしいです。
(ガゼータ・ル、クーリエより)

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2010年5月31日 (月)

代表チームを心から応援できない……カタルーニャとバスク地方2


ビデオの歌はバスク地方出身のKEN ZAZPIによるバスク語の歌。
バスクとはいったいなんでしょうか。
フランスとスペインの国境沿いがバスク地方で、フランスとスペインにそれぞれ居住しています。
「リミッツ・オブ・コントロール」の撮影で来ていたメイクの女性はバスクの人でした。
そのとき驚いたのが、金髪だったこと。
どちらかというと、ゲルマンのような風貌です。厳密には違いますが。
バスクといえば、黒髪というのが一方的な解釈でした。
ローマの頃はケルト人が支配していた場所。
勝手にケルトに近いのではないかと思っていたりしました。
イベリア半島で最初に居住したイベリア人がローマ化されずに残ったという説もあります。
現生人類ではなく、クロマニヨン人の生き残りという説もありましたが、遺伝子の研究が進んで、アフリカ大陸以外の人類はすべて現生人類ということがわかったので、違うようです。

有名なバスク人といえば、バスク系アルゼンチン人のチェ・ゲバラ。黒髪です。
ということは、ゲルマン系西ゴート族の混血もあって、金髪もあるということでしょうか。

ということで謎だらけですが、バスクのチーム「アスレティック・ビルバオ」は、バスク人だけで構成されてます。

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2010年5月28日 (金)

代表チームを心から応援できない……カタルーニャとバスク地方


発売中の「Number」の特集「スペイン、本当に優勝できますか?」には、スペイン国内のまとまりのなさを不安視しています。スペインサッカーに詳しい人なら周知の事実ですが、バルセロナはスペイン北東部の一地方ながら、独立国のようなカタルーニャ地方のチーム。今までは、そこから代表に選ばれても控えになるなど、明らかな差別もあり、カタルーニャの人々はどちらかというと「代表が憎い」くらい。その北方には、同じく独立意識の高いバスク地方もあります。
それが、今回のスペイン代表はバルセロナの中心選手と、バルセロナのようなパスワークを中心としたサッカーで、ユーロ2008で優勝。
今回のワールドカップは、カタルーニャも含めた全土で「代表ブーム」になっているそうです。

フランスやスペイン、神聖ローマ帝国など、宗主を変えても自治を守りかけていたカタルーニャがスペインの一地方となった屈辱の日は1716年。徳川吉宗が将軍になった年です。
1936年以降のフランコ政権下では、カタルーニャ語は公の場で禁止。唯一叫べるのは、バルセロナの試合の応援時だけとなりました。

というわけで、カタルーニャの人々から心底愛されるバルセロナ。
ホームスタジアムであるカンプノウには、「クラブ以上の存在Més que un club」と刻まれています。

次回はバスク地方について。

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2010年5月13日 (木)

アメリカがいつか助けにきてくれる モン族の今3

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2010年5月12日 (水)

アメリカがいつか助けにきてくれる モン族の今2

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