e World Awaligh 世界の歌

2010年7月 5日 (月)

WE Are The ChampionsからGSTQまで

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2010年7月 1日 (木)

クイーンのブライアン・メイによるGSTQ


バッキンガム宮殿の上で気持ちよさそう。

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2010年6月30日 (水)

God Save The Queen The Sex Pistols

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2010年6月28日 (月)

崖っぷちイングランドを支えたGod Save The Queen


イングランドのグループリーグ最終戦。崖っぷちのチームを支えたのはなんといってもサポーターの「God Save The Queen」。試合中なんどもチームを鼓舞しました。

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2010年6月15日 (火)

グナワ・ミュージック

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2010年6月14日 (月)

モロッコのユダヤ人歌手サフォーが乗り越えるもの2


サフォーが毎年帰ってくる故郷マラケシュのジャマ・エル・フナ広場には、ギニア(西スーダン)から連れてこられた人々の子孫(グナワ)が太鼓を打ち鳴らし、踊っています。
モロッコ王朝に支配されていた西アフリカから奴隷としてモロッコに流れた人々の魂のリズムを聞いて、サフォーは何を想うのでしょうか。

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2010年6月11日 (金)

モロッコのユダヤ人歌手サフォーが乗り越えるもの


サフォー。彼女は1950年代、モロッコのマラケシュで生まれました。
かつてスペインを追放されたユダヤ人の家系です。
第二次大戦後にナショナリズムが高鳴ったモロッコから逃げるようにフランスのリヨンに留学。
さらに渡り歩いて、最後にパリの場末の安アパートにたどり着きます。

彼女が後にアラブの歌をフランス語やアラビア語、ヘブライ語(ユダヤ人の言葉)で歌ったのは、パリにおいてアラブ人からユダヤ人と言われ、ユダヤ人からアラブかぶれと言われた彼女の唯一の抵抗。
差別を乗り越える術でした。
(続く)

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2010年5月26日 (水)

コルシカ人のアイデンティティを呼び覚ますパジェーラという歌唱法


アルジェリアのカビリ人の強烈な民族意識の話を紹介しましたが、ナポレオンを生んだフランスのコルシカ島も、かつては独立闘争を戦い、強い民族意識を今に持ちます。
彼らのアイデンティティを感じさせるのが、パジェーラという歌だそうです。
男性がコルシカの素晴らしさを少しずつずらしながら歌っていく。

その場にいる人がその輪をつないで、いつまでも続くそうです。

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2010年5月24日 (月)

ジダン「どうして謝る必要があるんだ」頭突き事件の真相を語る


RAIと呼ばれるアルジェリアの伝統的音楽を演奏するAbdelkader Saadoun。
そして、この映像で演奏しているのは、「Kabile」という歌。

Kabileと言えば、あのジダンの民族です。
今店頭にある「Number」のインタビューで、「マテラッツィを絶対に許さない。病院にいる母親を侮辱した」と改めてあの頭突き事件の怒りを語ってました。「謝るなら死んだほうがましだ」とも語っています。

どうしてそんなに怒ったのか。
それはまず、Kabile(カビリ)という民族を知るほかありません。
現在、アルジェリアはイスラム教徒の国ですが、元々はベルベル人という青い目と白い肌の民族が住んでいました。
後に多くのベルベル人はイスラム教徒となり、混血も進んだようです。
その中で、イスラム教徒は受け入れたものの、混血を一切行わなかったのが彼ら。

アルジェリア自体はフランスの130年以上におよぶ支配から独立し、多くのフランス人とアルジェリア人(カビリの人々も含む)がフランスに渡りました。

そのときのカビリ人移民の子がジダン。

しかし、アルジェリアに大きな問題が起こるのです。
選挙に勝ったイスラム原理主義の政党が、親フランスの政党に突然非公認とされ、イスラム派はパリなどで暴力テロを起こします。

その印象が、ヨーロッパに「アルジェリア人はテロリスト」という恐怖心を与え、差別の対象となったようです。

ジダンはアルジェリア人としての誇りも、カビリ人としての誇りも、フランス人としての誇りもあるはずです。
しかし、マテラッツィがはなったとされる「テロ売春婦の息子」発言は、ジダンにとって「カビリ人はテロリストではない。ましてや母親は売春婦ではない。病床の母親に許せない発言」として頭突きを引き起こしてしまったということでしょう。

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2009年4月13日 (月)

セルジュ・ゲンズブールの〈Les Amours Perdues〉をジュリエット・グレコが歌う1959年の映像。


1959年の4月17日、セルジュ・ゲンズブールの歌をうたうジュリエット・グレコです。
30代にとっては、セルジュ・ゲンズブールは最初に映画監督として知ったのではないでしょうか。
ゲンズブールからグレコに贈った曲では〈La chanson de Prévert〉(プレヴェールに捧ぐ)が有名だそうです。

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