World Awaligh 2

2010年3月12日 (金)

生まれつき声帯が一つしかなかったナナ・ムスクーリ


フレンチソングの中でも比較的古い曲である「Plaisir d'amour」。
1780年にJean Paul Egide Martini(1741-1816)によって書かれた曲です。
ビデオではジョーン・バエズとギリシャの歌手ナナ・ムスクーリのデュエットで、ビデオの途中からこの曲になります。
ウィキによると世界で最もレコードの売り上げが多い一人で、世界で2億3000枚以上売っているとか。彼女の声の特徴は、通常二つある声帯が生まれつき一つしかなかったことによるらしく、ナチス占領下にあったギリシャで貧しいながらトレーニングを積み、哀愁ある見事な歌唱力を得たようです。

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2010年2月24日 (水)

リバプールFCのアンセムとなった原曲


元々は1945年のミュージカルで作られた曲ですが、リバプールファンにとってはこのジェリー&ピースメーカーズ。

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2010年2月11日 (木)

ムスリム・マゴマエフ


カスピ海のバクー(現在のアゼルバイジャン共和国)出身のスター、ムスリム・マゴマエフ。
ソビエト時代のスターですが、当時のソビエトは連邦内の各国からモスクワに才能が集結。
その一人が彼でした。
2008年に亡くなり、音楽としてのソビエトという時代も終焉しました。

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2010年2月 5日 (金)

Don't let me downが出来るまでがわかります


音を合わせていく様子そのままの「Don't Let me down」。
完成するまでの過程がわかります。
1969年、1月27日から28日、アップルスタジオ。

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2009年12月22日 (火)

インターナショナル、日本語


たて 飢えたるものよ
いまぞ 日はちかし
さめよ 我がはらから
あかつきは きぬ
暴虐の鎖 断つ日
旗は 血にもえて海をへだてつ
我らかいな むすびゆく
いざ たたかわん いざ
ふるいたて いざ
インターナショナルわれらがもの

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2009年12月14日 (月)

Jock O'Braidosly(ジョック・オブレイドスリー)


歌詞や歌の情報がまったくないですが、いい歌ですね。

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2009年12月10日 (木)

パリ・コミューンで生まれた「インターナショナル」フランス語版


「インターナショナル」が生まれた1871年のパリは、歴史上、市民が最も熱くなったと言っても過言ではないでしょう。
フランス帝国軍は当時の強国プロイセン(ドイツ北部の国)に敗北。パリは包囲されたまま、国防軍は戦うものの降伏します。
パリ市民はそれを認めませんでした。
市民は市民のための政治を行うことを宣言し、選挙を行うなど国家パリ・コミューンを誕生させました。
労働者による国家を目指していたカール・マルクスらの「第一インターナショナル」の影響を受けていたとも言われています。

しかし、パリはドイツ北連邦軍に包囲されたまま、フランスの国防軍によって攻撃され、多くの血を流し、72日間という短い革命政権は終わりを告げました。

このパリ・コミューンで、一般市民から生まれたのが「インターナショナル」。
やがてこの歌はソビエトの国家になるなど、世界中に歌詞が翻訳され、ひろがりました。

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2009年11月13日 (金)

1975年、ピアノマンの映像


なんと貴重な1975年のピアノマン映像です。
Youtubeには73年のビデオなども公開されていますね。

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2009年11月 5日 (木)

ビリージョエルの「アレンタウン」、最初は違う町がモデルだった。


実はアレンタウンは、70年代に「Levittown」として書かれた曲がオリジナル。
Levittownはビリージョエルが幼少期を送った町で、ニューヨーク近郊のロングアイランドにあります。80年代になって、アレンタウン周辺の工業事情を耳にして「アレンタウン」として発表しました。
デビュー当時にその近辺での音楽イベントに参加していたために、事情に詳しかったようです。
2007年、再びアレンタウンを訪れたビリーは地元で歓迎を受けました。
映像は発表当時、ロンドンでのライブ。

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2009年11月 4日 (水)

アレンタウンを歌う前のビリーの言葉を訳すソ連でのライブ


ソ連でのライブなので通訳がビリーの説明を訳しています。
彼が言っているのは以下の通り。
「次の曲は、アルバム「ナイロンカーテン」から。この歌はアメリカ北東部の若者を描いたものです。残念ながら製鉄所が閉鎖になり、ただ、「いつか今より、良い暮らしになる」と信じて生きています。非常に愛されている曲です。「アレンタウン」」

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